カンボジア道中記3
最終話(後編)「支援の先にあるもの――」
メッセージの後は、校舎以外の贈呈品の品々が紹介される。
先生用のノート、ボールペン、鉛筆削りから各教室に行き渡るよう揃えられた文房具、時計、世界地図からゴミ箱、衛生を勉強するための教本まで様々な品物が贈られた。
また、たやまん、まっすーの最初の訪問からずっと現地コーディネートをしてくださった、松林さんからもサッカーボールの贈呈があった。
期待の眼差しで見つめる生徒たち。
日本では当たり前のものがここではどれだけ貴重か思い知らされる。
続いて、JHPの小山内美江子代表理事からのメッセージや生徒たちからの御礼のあいさつなどがあり、
式典はひとつの山を越え、前半のハイライトに向かっていた。
ここからは、満を持してKOSMICの登場である。
ミサエと二人でステージに上る。
KOSMIC
「チョムアップ スォ(=こんにちは)!
日本の横浜で「カンボジア・チャリティロックフェスティバル」というのを開きました。
そこに165人のお客さんが来てくれて、入場料を払い募金をしてくれました。
そのお金でキミたちに何をプレゼントしようか考えて、スケッチブック、色鉛筆、絵の描き方が載っている画集にしました。そして前回撮った写真の額を用意しました」
カンボジア語の通訳を通して話しかける。
2015年はじめ、幼なじみのまっすー、ミサエと26年ぶりの再会を果たしたKOSMIC。
カンボジア学校建設に携わる友人を見て、ミュージシャンとして何か協力できないかと、ミサエとともに企画して実現させたのが「第一回 カンボジア・チャリティロックフェスティバル」だった。
プロミュージシャン4組が参加し、165人を動員。
273,959円もの収益金を集めたのだった。
KOSMIC
「それでは、今日の式典のために曲を作ってきたので、その曲を歌いたいと思います。
Let’s go!『Life in Cambodia』!!」
ギュワーーーン!!!
KOSMICのエレキギターが唸りを上げる。
彼が引っさげて来たその曲は、前回生徒たちの前で演奏したような優しいアコースティックサウンドではなく、疾走感あるロックンロールだった。
♪ My life in Cambodia is not easy thing to do
All you ever hope for is some money and some bills
(マイライフ イン カンボジア 楽なことじゃない
期待できるのはわずかな稼ぎだけさ)
電気の通っていないこの地域で、エレキギターの音に初めて触れた人も多かったのではないだろうか。皆びっくりしてキョトンとしている。
構わず続けるKOSMIC。
♪ I'm living my life as same as you
How could it be so unfair?
(僕は君と同じように人生を生きている
人生っていうのはなんて不公平なんだ)
はじめはびっくりしていたが、さすがに元気な中学生たち。
陽気なカンボジア人の心が顔を出す。
ノリの良い子からじわじわと手を降りだす。
誤解を恐れず言い切るなら、KOSMICは“怒り”のミュージシャンである。
世にはびこる不正、不公平、差別、争いに怒り続けてきたミュージシャンだ。
『Life in Cambodia』は、カンボジアはかわいそうだという歌ではなかった。むしろこの国の人たちの目線に立ち、この国の辿ってきた運命に怒り、すぐにはどうにもならないこの矛盾した世界に対し歌を通して怒っていた。
曲の意味はわからなかっただろうが、会場は最後には大盛り上がりを見せ、KOSMICはステージを降りた。
KOSMIC
「や~お疲れ!!」
ミサエ
「キンチョ~したわぁ」
それぞれ大役を果たし、健闘を称えあう二人。
しかし、一息つくヒマもなく各自次の準備へと取り掛かる。
炎天下のなか、すでに1時間半近くが経過し、過酷な暑さが体力を奪っていく。
ここで新校舎に場所を移し、テープカットの後、
各教室に移動した生徒たちに贈呈品を渡しに行く。
教室に入るとすでに生徒たちが着席していた。
ボス、ミサエ、KOSMICがひとりずつ文房具を手渡ししていく、生徒たちはキチンと手を合わせてお辞儀してから受け取る。
ボス
「いいよいいよ、御礼なんかいいから!どんどん受け取って。
おーい!ここ鉛筆ないぞ! 一人も足りない子がないようにしてよな」
仲間はずれを出さない、これもボスの信条のひとつである。
ミサエ
「はい、どうぞ~」
真新しい教室に座り、受け取った文房具などを嬉しそうに見つめる生徒たち。
開けてみたり、裏側を眺めてみたり。
その笑顔にこちらまで幸せな気分になってくる。
「よかったなぁ、みんな…」本当にそんなシンプルな感想しか出てこない。
「自分なんて正直何もしてないんだけど、子どもたちにすごい感謝してもらえて、あの笑顔を見れただけでも来て良かったです(ミサエ後日談)」
ここで贈呈品をもらった生徒に囲まれて記念撮影というのが定番なのだそうだが、
「そういうのはいらない」とササッと教室を出るボス。
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外ではたやまん、まっすーがまた別の任務に動いていた。
たやまんは全体の進行を確認し、汗だくになりながら最後に配るお菓子を人数分もれなく仕分けを行う。
そして、まっすーはあるものを握りしめ、広場の中央へ―。
ブオォォォォンンン!!!
突然、甲高いプロペラ音が鳴り響く。
何だ何だと、教室内から人が出てくる。
子どもたちだけでなく大人も皆、空を見上げる。
視線の先には、まっすーが大事に運んできた真っ白なドローンが浮かんでいた。
エレキギターも驚いただろうが、日本でも現物はあまりお目にかからないドローンにカンボジアの人たちはどれほど驚いたことだろう。
少し離れたところで、操縦者であるまっすーがリモコンと格闘していた。
まっすー
「いや~もっと練習してくればよかった。難しい~!」
操作がかなり難しいようだ。
どこまでも高く舞い上がるドローン。
まっすーはこの集落全体を撮ろうとしているようだ。
あ然として見つめる大人たち。小さな子どもは大はしゃぎだ。
その他にもテープカットや植樹、記念撮影が行われ盛りだくさんの内容。
そして式典もいよいよクライマックスが近づく。
最後に全員でやりたいと、まっすー、ミサエ、KOSMICの3人が考えてきたアイデアがあった。それは生徒たちと一緒にロケット風船を空に飛ばすこと。
「俺たちの小学校で何かのイベントの時に風船を飛ばすのをやって楽しかった記憶があって、あれやりたいねって3人で話したんだよね(まっすー)」
早速みんな風船を配る。
…が!
風船に馴染みがないのか、ほとんどの生徒が膨らませられない…これは大誤算である(笑)
困ったやくそくメンバーたち。
ボス含め、日本人全員でふくらませるハメに…。
KOSMIC
「フゥゥゥゥゥゥ〜〜〜!」
ミサエ
「わたしも膨らまない~」
まっすー
「あ〜〜めまいするコレ…」
ようやく、膨らませて生徒に配る。
ほっしー
「木村さん、合図があるまで手を離さないように生徒に言ってください」
木村
「あ、はい、わかりました(笑)」
ほっしー
((笑)って? いや~離すんじゃないか、、離すんじゃないのぉ?)
ピィィィィィュュ~~~~~!!
一同
「あ”~~~~!」
ピィィュュ~~~~~!!
ピィィィュュ~~~~~!!
ピィィィィィュュ~~~~~!!
一人が放った瞬間、ほぼ全員リリース(笑)
ほっしー
「来ると思ったよぉぉぉ~!」
慌ててシャッターを切るほっしー。
まっすー
「ちょ、、ドローンで撮るからちょっと、やり直し!!」
ミサエ
「え、やり直しってもう一回膨らますの?(*゚∀゚)」
ありったけの力を振り絞り、何とか2セット目の風船を膨らませる。
慎重に言い聞かせ、二度目は無事(?)に成功!
かかりはじめた雨雲を蹴散らすように、空高く舞い上がった風船と子どもたちの歓声―。
支援してもらったことなんかではなく、不思議な日本人たちがやってきて、この日がとても楽しかったということをいつまでも、いつまでも覚えていて欲しい。そう思った。
まっすー
「ごめ、、撮れなかった、、いや、むずかし、、」
一同
「…………。」
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最後はお菓子を配り式典は終了。
村の人達から御礼の昼食をご馳走になることになった。
だし汁に浸した魚や肉、どれも美味しい。
以前は怖がっていたココナッツも熱中症対策に良いとのことで、すすんで飲んだ。本当に効いたような気がする。
現地の人にとってはどれもご馳走だったのだと思う。
たくさんの量を一所懸命に用意してくれたことに心から感謝した。
ボス
「田山、これ一番の功労者に持ってけ」
たやまんは、あるものをまっすーに手渡した。
それは先ほどの式典で感謝状と一緒に贈られた記念のメダルだった。
まっすー
「え!? あ、ありがとうございます!…え?」
プロジェクト発足以降、誰よりもカンボジアに渡り最前線でこの学校建設を牽引してきたまっすー。ボスはそのことをよくわかっているのだ。
「いや、嬉しかったですよ。自分がもらっていいのかなって。
田山さん(たやまん)もずっと一緒にやってきたから、その田山さんから渡されたのもあって、ちょっと泣きそうになった(まっすー後日談)」
昼食を終え、最後に生徒たちとメンバーそれぞれの交流の時間となった。
ミサエ
「ほっしー、こっち来て!」
ミサエに呼ばれて行ってみると、そこには数人の生徒の輪が。
ミサエ
「ちょっと、色鉛筆の使い方を教えよう思ったんだけど、実はわたし絵はあんまり…」
ほっしー
「よし!任せといて! 絵を教えるチャンスがあればなと思ってたんだ」
今回はカメラマンとして参加しているほっしー。本業はグラフィックデザイナー。
絵はお手のものなのである。
ほっしー
「色を塗るときは線ではなく、面を描いていくんだよ」
「子どもたちに、デザインや絵を教える機会が持てたらというのは、初めて来た時から思っていたことでした。急でしたが(笑)少し実現できて嬉しかった(ほっしー後日談)」
各教室では、KOSMICが用意してくれた写真の額の設置が行われていた。
たやまん
「結構しっかり打たないと外れて危ないな」
KOSMIC
「これからも生徒たちがずっとこれを見てくれると思うと嬉しいな」
設置を終えて、バラバラに動いていたやくそくメンバーがようやく揃ったところで
記念写真を一枚。
これにてほぼすべての予定を無事に終えた一同。
帰り始める生徒もいて、いよいよ別れの時が迫って来ていた。
ミサエ
「ちょっと、こっち撮って!」
ミサエが女生徒たちを次々捕まえて写真を撮っている(笑)。
でも中には前回の時のミサエを覚えていて「私と撮って欲しい」という生徒もいて、だんだんと我々に心を開いてくれていることが嬉しかった。
ふと見ると、ボスが一人離れ、最後の確認をするかのようにゆっくりと校舎を見て歩いていた。
近づいて話しかけてみる。
ほっしー
「校舎側面の壁、色々案も出しましたけど、
最終的に校舎名は付けずメッセージという形になって良かったです」
通常、校舎の側面には、贈呈者の考えた学校名や校舎名が書かれるのだが、今回の校舎には名前は付けず、代わりクメール語(=カンボジア語)でメッセージが書かれている。
この校舎は日本の多くの人たちの想いと支えによって
建てることができました。
生徒の皆さん、
夢を持って一生懸命に勉強してください
こう書かれた校舎を見上げ、ボスは「たくさんの生徒が見てくれるといいですね」と言ってゆっくりと校舎を見渡した。
いま心にあるのは完成した安堵感か、手紙をくれた娘さんのことか、はたまたすぐに動き始める予定の2校目のことか―。
その表情からはうかがい知ることはできなかった。
ーー帰りのクルマの支度ができたようである。
まっすー
「ミサエ〜、行くよ!」
ミサエ
「なんか、あの子泣いてるみたい、、ちょっとしか交流してないはずなのに、、」
ほっしー
「最後に一枚撮るよ~~!」
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生徒たちに別れを告げ、プノンペンへと帰路につく。
夕暮れ前、まだまだ暑い。
車中の一行は、疲れて多少グッタリしつつも、それぞれの役目をやり遂げた充足感に包まれていた。
ミサエ
「また来たいなぁ、またあの子たちに会いたい」
木村
「いつでもどうぞ。お待ちしてます(笑)」
教育の問題、インフラの問題、極端すぎる貧富の差の問題。
この国にはまともに向き合ったら気が遠くなりそうなほど多くの問題がある。
校舎を1棟建てたことなんて、本当に大河に一滴を垂らすようなことなのかもしれない。
でも我々は今日、たくさんの笑顔を見た。無邪気で嬉しさいっぱいの笑顔を見た。
国全体は変えられなくとも、出会ったあの子どもたちを笑顔にすることはできたのだ。
木村さんは言う、
「恩恵を受ける人、受けられない人、不公平でも仕方ないんです。そもそもこの広いカンボジア全部に公平なんてできないわけですから。
恩恵を受けた子どもたちだって、それを活かすか殺すかは自分次第なんですよ」
ほっしー
「そういえば、狩野さんに通訳していた子とがっちり握手してたね」
KOSMIC
「そうそう、あの子だよ、前に木村さんが言ってた日本人のボランティアに出会って日本語を勉強してるという」
今回の式典でずっとボスの後ろで同時通訳をしているカンボジアの人の青年がいた。
彼が中学生の頃、同じようにボランティアでやってきた日本人が、自分たちのために色々やってくれる姿に感銘を受け、以来日本語を勉強しているのだという。
この式典の翌月に日本に留学が決まったとのことだった。
ほっしー
「そしてまっすー、2校目始動だって? やっぱり前回視察したイスラム集落かね」
まっすー
「うん、、どんどん決めちゃっていいって言われたからね。でも前回の場所は色々ハードルが高いからよく考えないとな…」
木村
「本当に教育のない所にというのが狩野社長のご希望なので、あそこなんかは一番条件には合ってますけどね」
まっすー
「ですよねぇ〜」
ミサエ
「でも、まっすー牛に襲われかけたからね(笑)」
まっすー
「だよねぇ〜」
もう次の物語は始まっているのだ。
KOSMICは第2回カンボジア・チャリティロックフェスティバルの東京での開催を決定した。
ミサエは正式に「やくそく」プロジェクトの事務局メンバーとなった。
どこまでいけるか、どこまでやれるか、それは誰にもわからない。
ただ、1つ言えることがある。
それは「やくそく」プロジェクトのはじめから私たちが言っていること
“私たちができる小さなことをできるだけたくさん、できるだけ長く続けていく”
それだけである。
……。
…………。
たやまん
「それより、まっすーーー!!!
さっき狩野さんに「手紙はオマエの仕業か」って言われたぞ!
あ”~~帰ったらまた怒られるわオレ…(泣)」
一同「(笑)」
<カンボジア道中記3 〜たやまん・まっすーとボス登場〜 完>
「今日のクメール語会話(3)」
「トゥガイ クラウイ チョウプクニア ティアット」= また会いましょう
チョウプクニア=(お互いに)会う
<あとがき>
「カンボジア道中記3 〜たやまん・まっすーとボス登場〜」
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
この物語は、1校目の贈呈式の模様を中心に2015年9月7日〜9日の3日間の旅をまとめたものです。
前回同様、出てくる人たちも話した言葉もほぼそのまま書いています。
書き終えてみると、もう10ヶ月近く前のことなんだなと驚きました。
このカンボジア学校建設活動を少しでも多くの人に知ってもらいたい、そのきっかけになればと思って書きはじめた「たやまん、まっすーのカンボジア道中記」。3部作として1年以上も連載したことになります。
「道中記楽しみにしてます!」との多くの方の声に励まされ、なんとか完結することができました。
文中で躍動している人たちは、それぞれ立場も仕事も全然違う、ただこの活動をサポートしたいと集まったメンバーたちです。
登場人物諸氏は「上手く書きすぎ」とか「オレすごい良い人みたいじゃん」と謙遜するのですが、私は彼らと何度も旅をして人間味溢れる彼らをただ活字にしただけなのです。そうしたら物語ができてしまった。そんな感じです。
彼らとの旅はいつも奇想天外で本当に宝のような時間でした。
カンボジアの子どもたちのために少しでも力になれればと参加したプロジェクトですが、メンバーたちやカンボジアの人たちから一番励まされたのは私自身かもしれません。
文中にも書きましたが、広いカンボジアに1校建てても、実に大河に1滴を垂らすようなものです。でもやるんです。子どもたちに未来を変える可能性を与えることができるからです。
学校建設の全額を出している株式会社マーケットトラストは、2年連続で2校目の建設を決定しました。それは会社としてとても重い決断だったと思います。
既報のとおり2校目はボンオンサオンという、街からは少し離れたイスラム集落です。
雨季には水に沈み、環境も劣悪なところです。ムスリム語を話し基本自給自足で生活しているようなところ。
教育が全くないため、ここで生まれた人がこの集落を出て行くことはとても難しいとされています。
様々な難しい問題がありましたが、2016年6月現在、工事は順調に進んでいます。
ここに学校が建てば、集落や近隣の子どもたちとって大きな希望の光りになることは間違いありません。
そして本話のキーポイントでもあった「やくそく」プロジェクトをずっとサポートしてくれているシンガーソングライターのKOSMICは、「やくそく」プロジェクトのテーマソングとして『Life in Cambodia』という曲を作ってくれました。
この曲は、先日3日間におよぶレコーディングが行われ、2016年8月7日(日)に代々木の「Zher the Zoo」で行われる「第2回 カンボジア・チャリティロックフェスティバル」でCD販売され、収益金は再びカンボジア支援に使われます。
「音楽は国境を越える」とよく言いますが、カンボジアの人たちとの気持ちの交流に一役買ってくれたのはKOSMICの音楽だったのではないかと思います。
最後に現地でずっとお世話になった、株式会社淺沼組の松林さん、文中でもその存在感で主役の一人となった(笑)「JHP 学校をつくる会」の木村晋也さんに特に感謝したいです。
そして愛する「やくそくメンバー」たやまん、まっすー、ミサエ、KOSMIC、フッキ、文中ではほとんど登場しなかったけど、実は裏方でずっと働いていた苅ちゃん(苅田征峰さん)、そして“みんなのボス”こと狩野さん。
「カンボジア道中記」はあなたたちの物語です。
「やくそく」プロジェクトは続いていきます。
皆様これからも見守っていてください。
オークン チャラウン!!(どうもありがとうございました)
2016年6月27日
「やくそく」プロジェクト事務局
星野 大起