カンボジア道中記

たやまん、まっすーの「カンボジア道中記」

最終話「見ておかなければならない場所」

<2014年11月25日 滞在最終日>

カンボジア滞在の最終日となったこの日、松林氏に案内していただき、「S21 (トゥール・スレン)」を訪れた。


S21 (トゥール・スレン)は、ポル・ポト政権(クメール・ルージュ)時代の政治犯の収容所であり、拷問と大量虐殺の舞台となったところである。現在はその虐殺の歴史をいまに伝える「国立 トゥール・スレン虐殺犯罪博物館」となっている。


反革命の政治犯の収容所として設立されたが、「革命に学問は不要」という理由から知識層、教師にはじまり医者や技術者、果ては読み書きができる人、メガネをかけているからなど、本来の目的を失った逮捕、虐殺が行われた。

2年9ヶ月の間に約14,000~20,000人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのはたったの8人。

狂気の舞台のまさに中心地であった。

 

虐殺の舞台となった「S21(トゥール・スレン)」 現在は博物館になっている。
虐殺の舞台となった「S21(トゥール・スレン)」 現在は博物館になっている。

その結果、知識層がごっそりといなくなってしまったこの国は、復興が著しく遅れ、教員不足、学校不足から未来を担う子どもたちへの教育も行き渡らない状況にある。

学校建設支援を目指す我々としては、どうしても見ておかなければならない場所だったのである。

 

訪問前、松林氏から言われていた。

 

松林氏

「大丈夫ですか? 連れて行く人はみんなショックを受けるので」

 

たやまん

「いやいや、望むところです!  いっそのことガツンとやられたい。しっかり受け止めにいきます!」

と意気込んでいた たやまん。

 

いざ入ってみると、拷問で処刑された人の写真やその拷問に使われたベッドや器具がそのまま残されていて、訪れる者を圧倒する。

ほぼ当時のままの部屋、時間が止まったように空気がゆっくりと揺れ動いている。

ほとんどの人が言われもない罪を着せられて収容され、ここで命を落とした。どんな想いでこの壁や天井を見つめていたのだろうか。

 

しかも建物は、元々学校(高校)だったということも我々の心を暗いものにした。

教室だった場所はレンガの壁で仕切られたいくつもの小部屋(=独房)が作られ、広い校舎のほとんどはこの独房と拷問部屋で埋め尽くされていた。

未来への希望を与えるはずの場所が虐殺の舞台になる、これ以上の不幸はない。

 

拷問部屋での血痕や亡くなった方々のむごい写真を目の当たりにし、最初は意気込んでいた二人もしだいに顔色を失っていく。

 

かつて教室だった場所は独房に姿を変えた。 奥に黒板らしき物も見える。
かつて教室だった場所は独房に姿を変えた。 奥に黒板らしき物も見える。

たやまん

「まっすー、もうやだ。帰りたい」

 

まっすー

「これは凄まじいね、ホント…」

 

最後に写真やテレビなどでも見たことある犠牲者の骸骨が無数に積まれている場所を見て、
もう言葉にならないという感じだった。

 

たやまん

「俺、舐めてたわホント。言葉にならん…」

 

後半はほとんど無言だった たやまんとまっすー。

プロジェクトの原点とも言える場所で想像を超える事実を目のあたりにし、自分たちの中でのプロジェクトへの想い、ボランティア支援というものに対する考えが根本から変えられていくような気がした。

 

ふと、プロジェクトスタートに際し、発起人の狩野が話していた言葉が思い出された。

「たまたま日本に生まれたから、我々は何不自由なく暮らしている。ここ(カンボジア)に生まれてしまった人も同じ人格を持った一人一人の人間。与えられた環境が違っただけなんだ」

 

 

S21の見学を終え、お昼前に出発。

 

たやまんまっすー

「今回は、本当に色々ありがとうございました」

 

松林氏

「こちらこそ、またお会いしましょう」

 

 

痛いほどの現実を見せてくれたカンボジアに別れを告げ、我々はタイ経由で帰国の途についた。

帰り道に寄った土産物屋で店員があまりに無愛想で腹が立ったが、笑顔で接客してくれるのが当たり前の私たちの国ってやっぱり素晴らしいんだなと何だかシミジミ感じてしまった。

 

 

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空港にて出発便を待つ。

 

すると、目ざとく日本の「吉野家」の看板を見つけたまっすー

 

まっすー

「お! 吉牛。ちゃんと味噌汁のセットとかもあるよ!」

 

たやまん

「あれ? お腹ヤバいんじゃないの? 昨夜もあんなにトイレに…」

 

まっすー

「おおぉぉ、吉牛はやっぱ美味いわ! 世界共通!

そして帰ったらまずは「ラーメン二郎」でしょう!」

 

たやまん

「付き合ってられん…。」

 

 

我々のプロジェクトは始まったばかり。

この道中記がアップされる頃は、基礎工事も済み、建物の建設が着々と進んでいるだろう。

8月には校舎が完成し、10月からの新学期には間に合う予定だ。

あの子どもたちの笑顔に早く会いたいと思う。

 

次回はしっかりと胃腸薬を持って。

 

 

< 「たやまん・まっすーのカンボジア道中記」完 >

 

 

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<あ と が き>

 

「たやまん・まっすーのカンボジア道中記」最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

この話は2014年11月23日〜25日の3日間、カンボジアの支援候補校を視察しに行った、田山正胤(たやまん)と増田博道(まっすー)の旅を多少面白おかしく演出しながらも、二人が思ったこと感じたことを極力ストレートにそのままを文章にしました。起こった出来事はすべて実話です。

途中に出てくる人たちもすべて実在の方々で、今(2015年5月現在)もカンボジアで活動されています。

カンボジアに行かれたことのある方々の中には、内容に対して違った印象をお持ちの方もいるかと思いますが、一つの主観、考え方としてお読みいただければと思います。

 

また食事の話、衛生の話、狂犬病のことなどが文中に出てきますが、これらは二人が出会った3日間の出来事の範囲だけで書かれていますので、これからカンボジアに行かれる予定がある方は、外務省の海外安全ホームページの渡航情報やガイドブックなどで正確な情報を収集してください。

今後、やくそくプロジェクトでもカンボジアに行く人のための情報提供ができるようになればと思っています。

 

さて、校舎の建設は着々と進んでいます。

2015年9月8日にバンティアイチャックレイ中学校の贈呈式も正式に決まりました。

いよいよ1校目の完成でプロジェクトも大きな区切りを迎えます。

 

「学校を建てて終わりじゃない」というのがプロジェクト発起人の狩野、そして我々やくそくプロジェクトメンバーの共通の想いです。

引き続き、我々にできる小さいことを皆さんと一緒にできるだけ長くやっていこうと思います。

 

私自身、正直なところ今までボランティアなんて考えたこともなかったです。せいぜいホームレスの人にホッカイロを配って歩いたことがあるくらい。世界にはかわいそうな人たちがいて、懸命に支援している人たちもいる。それは知っていても僕らの世界とは違うものだと思っていました。

 

今回「やくそく」プロジェクトに参加することになり、カンボジアの悲惨な現状を知ってしまった。

善いことしたいとか、感謝されたいとか、そういう気持ちはとうの昔に過ぎ去っていて、そんなことより目の前に求められていることが山ほどある、やるしかない。ただそれだけです。


これから私を含めた事務局メンバーも全員カンボジアに渡る予定です。

よりリアルに、わかりやすくカンボジアの現状や子どもたちの声を届けたいと思っています。

 

今後とも「やくそく」プロジェクトをよろしくお願いします。

 

 

2015年5月1日

「やくそく」プロジェクト事務局

星野大起