「やくそく」プロジェクト10周年
2014年に始まった、マーケットトラスト カンボジア学校建設活動「やくそく」プロジェクトは、2024年で活動10周年を迎えました。
2015年完成の1校目となる「バンティアイチャックレイ中学校」から今回の「プラソックレァック小学校」を含めてカンボジアに7校の支援を行って来ました。
プロジェクト発起人であり、株式会社マーケットトラスト代表である“ボス”こと狩野 富の娘との「やくそく」から始まった本プロジェクト。
その思いに賛同して集ったプロジェクトメンバーたち。10年間、ほぼメンバーも変わることなく幾度も共に旅をし、様々な経験をしてきました。
途中、世界を襲ったコロナ禍でプロジェクトを中断せざるを得なかった時期もありましたが、2022年に活動再会。大きな困難を乗り越えて今日があります。
今回は10周年を記念して、それぞれに10年を振り返ってもらうことにしました。
(聞き手:星野大起(ほっしー))
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狩野 富(ボス) 株式会社マーケットトラスト代表 「やくそく」プロジェクト発起人
ーープロジェクトも開始から10年となりました。10年を振り返っていかがですか?
狩野:俺はお金を出しているだけ。何もやってないよ。みんなが動いてくれるから成り立ってるの。だから式典でも前に座るのは嫌なの。俺は別に主賓じゃないから。
あとは会社が傾いたりしたらこういうことはできないけど、幸いそういうこともなかったのでここまで続けて来られた。
みんなのおかげ。
ーーコロナ禍もありましたが、10年欠かすことなく支援を続けてきました。また常に現地にも立ち会ってきました。その原動力は何なのですか?
狩野:「やくそく」したからね。
贈呈式とかでお菓子に群がる子どもを見ると、カンボジアが発展して来たとはいえ、まだまだ貧しいよ。
俺たちはただ学校を建てているだけだから、建てるだけじゃなくもう少し何かしなきゃいけないんだろうなと思うよ。
よく聞かれるんだけど、これやったって別に見返りなんかないからね。だってカンボジア入国時のイミグレーション(入国審査)だってちゃんと並んで入るんだから。でもさ、そろそろイミグレぐらいは優先で通してくれるようにならないかな〜(笑)
でも、別に学校建ててるから偉いとかじゃなくて、お金の価値は同じだから。例えば高級車を買ってぶつけてお金無駄にしても学校を建てても、お金の価値は同じ。結局は何に使うかなんだよ。
ーー今後の活動について
狩野:当初は俺が60歳になるまでか、10校建てるのが目標だったけど、コロナもあったからちょうど60歳になる時に10校目になるんだよね。まずはそこまでやるよ。
他の国の支援の話もあるけど、そこは俺じゃなくても他にやる人もいると思うんだよね。ただ、要請されて、自分が動かなきゃいけないと感じたら、応えられるようにはしておきたい。
あと、うちの社員にも話すんだけど、やっぱり海外のこういう現状は知っておいたほうがいい。
日本で地引網の催しを毎年やっていて、子どもたちがはしゃいで寄ってくるんだけど、カンボジアでお菓子を配ると奪い合うように寄ってくる。この違いを皆知っておいた方がいいと思う。
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増田 博道(まっすー) 「やくそく」プロジェクト 事務局代表
ーーまっすーと言えば一番最初に声のかかったメンバーで、発足時から本プロジェクトを牽引してきましたが、10年を振り返っていかがですか?
増田:やっぱり10年続くってすごいよね。
思えば狩野さんと出会った当時に言っていたカンボジアの学校建設をその10年後に本当に実行した。そしてそこからさらに10年。このプロジェクトで何人の子供たちが学んで行ったかを考えると、自分も少しは役に立てたかなと。
カンボジアは発展とともにますます貧富の差が広がっているし、国としてももっと貧困地域に目を向けて欲しいし、私たちも支援する立場としてもっとこの国の現状を正確に知る必要があると思う。
ーー思い出に残っているプロジェクトはありますか。
増田:学校がなかった地域につくった、2校目の「ボンオンサオン小学校」。やっぱりあの環境を目のあたりにして、自分の子どもたちとのあまりの環境の違いに愕然としたし、この子たちの現状が少しでも良くなって欲しいと本当に願ったよね。
ーー今後の活動について思っていることなどありますか?
本来の目的である「満足な教育が受けられない地域に学校を建てる」ために、より困っている地域を見つけて支援していきたい。
未来をつくっていくのが子どもたちだから。
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久保田 敏昭(トッシー) 株式会社マーケットトラスト社員 「やくそく」プロジェクト コーディネート担当
ーーコーディネート担当として、多くの任務をこなしてきましたが、振り返っていかがですか?
久保田:僕は皆さんより少し遅れて参加しましたが、2015年に初めて社員全員で完成した学校を見に連れて来てもらって、純粋な子どもたちの笑顔を見て以来、携われるならこれからもずっと行きたいと思っていました。
それからたくさん一緒に旅をしてきましたが、皆もそれぞれの仕事があるなかで時間を捻出して集まっているので、旅の手配、航路、現地調整や状況把握までなるべくミスの出ないようにやってきました。
まぁトラブルもたまにありますが(笑)そこはつきものですので。でも年月を通してこのメンバーで培って来た旅力というのかな。今は多少のトラブルでも心配ない。良い感じに熟して来たかなと。
ーー社員から見て、このプロジェクトはどう思っていますか。
久保田:社員の多くがカンボジアに連れて来てもらって、皆それぞれにとてもいい影響を受けていると思います。仕事においてもお客様からとても良い印象を持っていただいています。
プロジェクトに携わらせてもらって思うのは、多くの「気付き」があることなんですね。
日本人であることの有り難さとか、同時に世界の現状を知らなさ過ぎる自分とか、本当に色々な「気付き」があるんですよね。だから自分自身としてもこの活動を通してとても貴重な経験をさせてもらっているので感謝しています。
ーー今後の活動について思っていることなどありますか?
これまでの活動のなかでカンボジアの現状もだいぶ知るようになって思うのは、カンボジアの未来って、近隣の他国を見ると少し想像がつくというか。このカンボジアの人たち、特に子どもたちの純朴さ純粋さというものはこの先も無くして欲しくないなと思います。
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中村 美佐江(ミサエ) 「やくそく」プロジェクト事務局メンバー
ーープロジェクト参加当時のことを聞かせてください
中村:正直、最初は観光気分だったんですよ(笑)
はじめは「かわいそう」「助けてあげる」みたいなつもりでいたんです。でもカンボジアの人たちは逆に私たちが持っていないものを持っていることに気付かされたんですよね。
それで、自分のなかでも色々変わって来たというか。今となってはライフワークですね。同世代のメンバーたちとのこの活動は自分の財産。人生を豊かにしてくれたと思っています。
でも、最初は10年も続くとは思わなかったけど(笑)
私は一人だけ女性メンバーなので、体力的なことや場所によってはトイレなどの問題もあるけど、参加したからには「女性だから」と言われたくない。皆の足を引っ張りたくないと思ってやってきました。
逆に女性だからこそできること、見えるものもあるなと感じていて、特に現地の女生徒や女性の先生などからは「日本の女性」としての興味を持って見てもらえているのかなと感じます。
ーー思い出に残っているプロジェクトはありますか。
中村:たくさんあるけど、贈呈式で風船飛ばしとか、演奏とか自分たちで色々企画を考えてやった1校目の「バンティアイチャックレイ中学校」かなぁ。
そのために私たちの地元の横浜で「カンボジア チャリティロックフェスティバル」とかもやったしね。懐かしい(笑)
もうひとつ挙げるなら、2校目の「ボンオンサオン小学校」。雨季で水に沈む村という衝撃。本当にここに学校が建てられるのかと思いました。
ーー今後の活動について思っていることなどありますか?
これまで皆と一緒に活動してきて、自分ももっと役に立ちたいと思っていて、ちょっともどかしいんです。役割もそうだし、トイレのひとつくらい自分で支援できるようになりたいなって。そこが自分の目標にもなっています。
そして、体力ね(笑)。
毎回ハードな旅だし、正直年々キツくなる。毎回が自分への挑戦でもあります。
「次回もまた皆と一緒に来れるように」それが私の日々のモチベーションです。
この活動を通してやりたいことは、まだたくさんあります。
特に式典でしか交流のない村民の皆さんの日常的な生活とか、せっかくこれだけ長い間来てるので、もっとカンボジアの深い部分まで知りたいなと思っています。
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星野 大起(ほっしー) 「やくそく」プロジェクト事務局 広報(サイト制作・写真撮影・執筆)担当
ーー10年を振り返って
星野:「カンボジアに学校を建てるので、うちの会社のCSR活動としてブログか何かでリリースしてください」これが10年前、私のもとに来た依頼でした。
代表の狩野富さんから学校建設に至った「やくそく」の話や、プロジェクトの実務を託され現地に飛んだ、田山正胤(たやまん)さん、増田博道(まっすー)さんたちの話を聞き、「これは面白い!そして素晴らしい」と瞬時に思いました。
これまでボランティアや慈善事業などにあまり興味のなかった男たちの不器用なほど直球で何の見返りも期待していない支援活動。
そこに共感する仲間がだんだんと集まってきました。
私は彼らの出来事を「カンボジア道中記」としてまとめ、いつしか自分も登場人物の一人となっていました。
実はこのプロジェクトに携わるまではあまり海外は行ったことがありませんでした。
なので、はじめの頃はすべてのことが刺激的で、そのことだけでもクリエイター、写真家として急成長させてくれたと思っています。
それと同時に、“知っているつもり”になっていた世界の貧困問題、開発途上国と言われる国の現状。初めてカンボジアの地に降り立った日の夜に見た幼い兄妹がゴミを漁っている姿に、“何もできない自分”を嫌と言うほど見せつけられました。
2019年に私はそれまで撮りためた写真に加え、ゴミ山のスラムや「エイズ村」と呼ばれる地域にも取材に行き、「EYES 〜Life in Cambodia〜」という写真展を行いました。
予想を上回る来場者でたくさんの方に今のカンボジアを見ていただくことができ、関心の高さを感じました。
狩野富は言います「知っちゃったんだから、やるしかない」。
私はそれを聞いて思いました「ならば自分は、多くの人に知らせなきゃいけない」。それが私のこのプロジェクトにおいての役割であり使命だと思っています。
10年前、仕事として依頼されたこの活動も今では自分の大切なライフワーク。
これからもボスを筆頭に、仲間たちと我々にできることをできるだけ長く続けていきたいと思います。
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以上、短くですが、活動10年を迎えた現「やくそく」メンバーの声をお届けしました。
ここには登場していない多くの人たちもこの活動を支えてくれました。
それぞれの思いを持ってこの活動に参加して10年。自分たちのことながらよくやったなぁと思います。
カンボジアもその経済発展とともにますます変わって行きます。
「もう支援は必要ないのではないか?」
「発展がカンボジアの人々の良さを壊すことにならないか?」
そんな思いもあります。
でも、私たちの成すべきことに変わりはありません。
「国家百年の計」と言われる教育。国が次の段階に行くためには次世代をリードする人間が世に出て来ることが必要であり、そのための「教育の場」を貧富に関係なく遍く行き渡らせことが必要です。私たちの活動がその一助になること。それにつきます。
なぜ続けるの?
発起人 狩野富の言葉を借りるなら、
「だって、出会っちゃって(現状を)知っちゃったんだから」です。
だから、活動10年を迎えた「やくそく」プロジェクトはこれからも
「決めたことを、ただ真っ直ぐに」進んでいきます。
<撮影・文責>
「やくそく」プロジェクト事務局
星野 大起